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【ブルースインタビュー#18】今村雄太選手 「みんな、やると思っていた」

2022年04月29日(金)

みんな、やると思っていた。

今村雄太選手

 

 経験豊富な37歳。

 その対応力が光ったのはリーグワン(ディビジョン3)の第10節、4月10日におこなわれた中国電力レッドレグリオンズ戦だった。

 

 キックオフ直後、先発WTBの濱里耕平が負傷する。

 交代。

 今村雄太がピッチに入った。

 

 宗像サニックスブルースに加わって今季が3シーズン目。今季、それまでのプレータイムは短かった。

 第7節のクリタウォーターガッシュ昭島戦で、後半32分からピッチに立った。それがすべてだ。

 

 今村は、緊急出動となったその今季2試合目、試合終了時までピッチに立ち、自らトライも挙げた。

 レギュラーシーズン最後の一戦。勝てば2位。順位決定戦をホストスタジアムで戦えるか否か。重要な80分だった。

 

 そんな試合で自分の役目を果たした。

「(ベンチスタートのときは)いつ出番が来てもいいように準備はしています。でも、30秒は初めてでした。メンバー構成を見ても、最後まで出続けないといけない状況でした。(試合)間隔があいていたので不安はありましたが、覚悟を決めました」

 

 後半14分に挙げたトライは、ターンオーバーからと、ブルースらしいものだった。

 自陣から攻めに転じた仲間に今村も呼応する。最後は、その試合でゲーム主将を務めたFL田淵慎理からのパスを受けてインゴール左に入った。

 

「試合から遠ざかっていて頭と体が一致しないところもありました。連続して走るケースもあった。ボールを持つ機会も多く、足が思うように動きませんでしたが、めちゃくちゃ楽しかった」

 

 ブルースキャップを初めて得る選手もいた。若手もたくさんピッチに立った。

 慌てたり、疲れたり、展開によってはベテランとして周囲を鼓舞することもしなければいけないと考えていたが、「その心配はいらなかった」。

「若い選手たちと一緒に思い切ってプレーしました」

 

 1984年10月31日生まれ。四日市農芸高校で始めたラグビーは、自分に合っていた。

 その豪脚は学生レベルでは敵なし。早大進学後は大学日本一に何度も輝いた。

 

 日本代表キャップ39を持つ。

 2007年、2011年と2度のワールドカップ出場。神戸製鋼に12シーズン在籍し、トップリーグ100試合出場も達成している。

 

 怪物。あるいはモンスター。

 若き頃、周囲にそう呼ばれたことを若い選手たちは知らない。

「今年入ってきた選手に、『今村さんは、ずーっとブルースにいるんですか』と聞かれました」と話す。

 歳の差は15ほど。過去を知らなくて当然。微笑む。

 

 若手が、長くいるように感じたのは、それだけチームに馴染んでいると感じたからだろう。

 実際、今村はブルースと宗像を気に入っている。

 

 神戸製鋼での契約が満了を迎え、この地へ。チームへの貢献と若者たちへ影響を与えることが自分の使命だ。

 過去2年、その役目を果たしてきた。

 

「言葉に出すタイプではありません。試合へ向けてグラウンドで準備する姿、そして出し切る。それが僕のできること。若い人に見てもらいたい、と思ってやっています」

 

「ケガが続き、復帰してもプレー時間が短く、なかなか調子が上がらなかった」と、今季を振り返る。

 さらに、シーズン途中でクラブの活動継続が検討課題となり、やがて今年5月までの活動を区切りに活動休止が伝えられた。

 

「ブルースに来てから、プレーできる喜び、感謝を感じながら毎日を過ごしてきました」

 その思いは変わらない。

「(活動休止という)辛い状況でも、最後までプレーできるのは有り難いこと。先のことは分からないけど、このチームでの時間を大切にしたい。やり切りたい」と話す。

 

 第10節のレッドレグリオンズ戦のメンバーは試合の2週間前に発表された。

 前述のように、若手や試合経験の浅いメンバーが並んだけれど、今村は「なんの心配もなかった」と言う。

 

「以前から、試合に出ない選手たちの練習の雰囲気が凄くよかった。なので、あの試合のメンバーが決まった時も、いいラグビーができると思いました。自分からいろいろ言わず、その空気を大事にしたいな、と」

 正しかった。

 

 大学ラグビーのスターたちが毎年加入する神戸製鋼と、原石を磨き、叩き上げるブルースでは大きく環境が違う。

 残してきた足跡は大きいけれど、実は叩き上げの今村。いまのチームメートの気持ちが分かる。

 

「みんな元気で、仲も良いし、勢いがある。高いモチベーションで練習し、ハングリー精神もある。本当にいい雰囲気、いいチーム」

 

 移籍してきた年こそ単身赴任だったが、「本当にいいところだから。自信を持って、そう言える」と、翌年は家族を宗像に呼んだ。

「みんな、とても気に入っています」と愉快そうに話す表情に味がある。

 

 引退してもラグビーに関わりたいと語る37歳は、残る日々を全力で過ごすと誓う。

 

「どこで、どのように携わるか分かりませんが、今回、この時期にこのチームにいるのも何かの縁。この経験も将来に生かしたい。問題が起こった時も、選手たちをうまくサポートし、日本ラグビーのためになるような環境を作っていければ」

 

 トライラインまでいっきに走り抜けていた男はいま、周囲がよく見えるようになった。